凡人日記

よろしゅう。

ライフ・イズ・ビューティフル

またすばらしい映画に出会ってしまった。

僕がこれまでの人生で、

映画の魔法をかけられた作品はたった三本。

一本目は、「ニューシネマパラダイス

二本目は、フェリーニの「道」

そして今回の、

ライフ・イズ・ビューティフル」だ。

偶然か必然か、ぜんぶイタリア映画である。

ロベルト・ベニーニは監督としてはこの作品以降

あまりパッとしないため、ある意味一発屋みたい

な感じなのだが、それがむしろ映画の魔法という

ものの存在を助長させているように思える。

さて、この「ライフ・イズ・ビューティフル」は

第二次世界大戦におけるユダヤ人迫害をユダヤ

イタリア人家族の視点で描いた作品。

このころは、ユダヤ人というだけでたくさんの人

間が理不尽に殺されてしまった。

そんな暗い時代背景とは思えないほどに明るい雰

囲気が漂うのは、監督脚本のみならず、主演まで

務めてしまったベニーニの狙いなのかな。

この物語の雰囲気は前半と後半で分けられる。

前半では、ベニーニ演じるグイドとニコレッタ・

ブレスキ演じるドーラの出会いを描いている。

序盤から底抜けに明るいグイドとドーラの馴れ初

めは、何度も別の場所でバッタリ出会ってしまう

点でファンタジーであり、よくある映画のラブロ

マンスみたいだ。

こう思った時点で僕はベニーニに騙されてしまっ

たのだと、全編見終わった今思う。

グイドが街中で魔法のような伏線回収(空から鍵が

降ってくる下りとか、帽子の下り)をし続け、

魔法を信じたドーラはついにはゾッコンという、

なんとも夢物語な展開からやがて時間が経過して

後半へと移っていく。

ここのトランジションが魅力的。

グイドが射止めたドーラがドアの向こうにいく

と、いつのまにか何年も時が経ち、ジョズエとい

う子どもまで産まれている。

この切り替わり方がなんともイタリア映画らしく

てすごく好き。

さて後半、せっかく家族ができたのに、テーマが

ラブロマンスからユダヤ人迫害のリアルへと移っ

ていく。

ここで普通の作品はキャラクター自体の感情も

ガラッと変えてしまうけど、グイドは尚もひょう

きんなのがこの映画の醍醐味だよなぁ。

薄暗いゲットーでジョズエを安心させるために、

グイドはいくつもの嘘を平然とついていく。

純粋な子どものジョズエは、それを信じて、

ゲットーの悲惨ぶりを知らないままだ。

そして最終的にグイドは死んでしまう。

それも本当にあっさりと描かれている。

あまりにあっさりで拍子抜けというか、

ファンタジーの魔法でてっきり上手いことグイド

が切り抜けて、もう一度家族全員のショットが

映ると思ってたから、ただただ衝撃的だった。

あれだけ信じてた魔法が存在しなかった。 

そこでぼくは絶望して、どういうオチが来るのか

全く予想できなくなってしまった。

思えばベニーニは、序盤から映画のファンタジー

性を少しずつ減らしていっていた。

それこそが映画の魔法のタネである。

この映画には"魔法"というワードがしばしば登場

する。だけど結局魔法なんてなかった。

グイドもあっさり死んでしまう。

観ていたみんな拍子抜けだ。

だけど視聴者はずっと映画の魔法にかけられて

たことを、ラストシーン、最後の台詞で知る。

映画においては、

映像で現実を描くことも、空想を描くこともでき

る。誰が主人公でもいいし、どんな嘘をついたっ

てもいい。映画の最大の魅力は大どんでん返しと

言っても過言では無い。

 

「これは、私の物語である。」

 

この言葉で何人の人が欺かれていたことを知り、

あまりの素晴らしさに涙したことだろう。

これこそイタリア映画の魅力。

魔法を信じた者にしかやってこない、

最高のご褒美だ。