凡人日記

よろしゅう。

間接的に人生変えてくれるヒーローいるよね

2011年、小学一年生のぼくは、

あまりにも運動音痴で、

体力テストでE判定をとってしまった。

友達にいじわるするのが好きだったぼくが、

 その友達よりもずっと運動音痴だという事実に、

あまりに悔しくて大号泣した記憶がある。

まわりはみんなA判定とかB判定なのに、

自分だけE判定なものだから、ショック。

スポーツがほんとに大きらいだった。

その年の12月、

クラブチームの世界一を決めるクラブW杯で、

はじめてサッカーをちゃんと見た。

それまで全く興味なかったけど、

日本を代表するチームがあまりに黄色すぎて、

面白がって見てたら、

いつのまにか釘付けになってしまった。

このときの柏レイソルの活躍は、

別に大してすごい成績を残した訳でもないのに、

何故か今でも鮮明に覚えている。

準々決勝のモンテレイ戦で、

ワグネルとドミンゲスという、

2人の助っ人外国人が大活躍してPK戦で勝利。

サッカーに疎い小学一年生のぼくは、

この試合を見て、絶対優勝できる!と思った。

しかし準決勝で対戦したサントスには、

まだ世界に注目される前の"アイツ"がいた。

"アイツ"はほんとにやばかった。

いつのまに柏レイソルのファンになったぼくは、

一生懸命応援したけど、

開始早々スーパーゴールをぶちこまれた。

ブラジル人らしいテクニックと、

規格外のパワーをもった凄まじいシュート。

小学生のぼくが、

まだ19歳のネイマールに抱いた衝撃は、

日本が世界に全く通用しない悔しさと同時に、

サッカーという競技があまりに広くて深いものだ

という事実を突きつけた。

そういう経緯で、

ぼくが人生ではじめて夢中になったスポーツは、

サッカーになった。

見るだけじゃ飽きたらず、

めちゃくちゃ球が蹴りたくなったぼくは、

市のサッカークラブに入ってからは、

毎日のようにサッカーに明け暮れた。

ふつうのサッカー小僧は、

ドリブル練習やリフティングを通して、

毎日少しずつ上手くなっていくと思うけれど、

当時のぼくは毎日3〜4時間、

寝室で母親に作ってもらった手作りゴールに向か

ってとげとげボールを蹴っていた。

今考えてみればそんなの上達するはずがない。

ちなみにただボールを蹴るんじゃなくて、

さっきまでスカパーで観てたJリーグハイライト

でのゴールをパス〜シュート〜キーパーの動きま

で頭のなかで再現してイマジナリーサッカーを展

開してた。

「ドミンゲスクロスをあげた!(ボールを壁に投げ

る)飛び込んだのは工藤!(跳ね返って来たボール

をヘディングする)キーパー川島止められな〜い!

(悔しがる)」

当時ゲーム機を買って貰えなかったぼくは、

ウイイレのかわりに、

このようにサッカーを楽しんでいたのだ。

我ながら、ひとり遊びの天才である。

その前に、病気である。

この憑依遊びで大活躍したのが、

サンフレッチェ広島のストライカ佐藤寿人と、

大好きな柏レイソルのストライカ工藤壮人

とくにあのクラブW杯以来、

工藤壮人には思い入れが強かった。

2人ともほんとに"ストライカー"って選手で、

代表とは無縁だからあまり有名じゃないけど、

ときに泥臭く、ときに華麗なゴールを決める、

そんな2人に小学生のぼくは憧れていた。

さて、

サッカーが好きすぎるあまり"練習"せずに、

"再現"ばかりしていたぼくは、

こんな調子だから試合ではいつも補欠だった。

まず足がダントツで遅い。

そして反射神経がダントツで鈍い。

遠藤監督(現なでしこジャパンFW遠藤純選手のお

父さん)にお情けで出して貰ったときはいつも、

いちばんさきにバテて、

下級生たちに笑われる始末だった。

それでも実は、憑依遊びの"効用"はあった。

当時のぼくは、

常に試合に置いてけぼりになっていたが、

そのかわりに、

試合で一度必ずあるチャンスがやってくると、

佐藤寿人のように泥臭いゴールと、

工藤壮人のようなエキセントリックなプレーで

周りの人を湧かせたものだ。

中学時代もそのプレースタイルは変わらず、

永久にベンチだったかわりに、

後半残り10分で出場しては、

たった1回だけものすごい湧かせることから、

"打上花火(スーパーサブと読む)"という異名をも

っていた。

こうして、

超運動音痴のぼくがサッカーを楽しめたのは、

佐藤寿人と、

今日天国へと旅立った工藤壮人のおかげだ。

柏レイソルのおかげでサッカーに出会い、

工藤壮人のおかげでサッカーを好きになった。

サッカーを好きになったから、

本当に少しずつだけど、

運動ぎらいも減ってきて、

中学ではようやく運動が好きになってきて、

高3で受けた最後の体力テストでは、

ついにはじめてA判定をとることができた。

工藤壮人選手、ありがとう。

そして、お疲れ様でした。